亡くなった彼のこと
亡き彼は(kちゃん)この世の天国を思わせる、木々も花達も命芽吹く季節に私が仕事で帰宅した黄昏時に布団の中で既に息を引き取っていました。
突然死でした。
突然、逝ってしまいました。
こうやって書いている今も涙が込み上げてきます。
何年経っても、例え百年千年経っても、彼を思い出して泣かなくなるということは絶対ないだろうと思います。
愛する者が先に行くという苦しみの現実に向き合わなければならなかった人達、一分一秒がこの世の地獄とさえ思えた孤独と悲哀の中で、のたうち回って生きて来られた死別経験者の方ならきっとこの感覚が分かってくださることでしょう。
彼の最後のメールの文章は「笑って。笑って暮らそう」
体調が芳しくないにも関わらず、痛みに耐えて難しい試験に臨み、そして届いた悲願の合格通知。
その通知に合格!と誇らしく手書きして満面の笑みで壁に貼った彼は、それから僅か数日ののちに命を終えました。
大きな体格の主がいなくなった古びた築百年近くの家。
kちゃんが笑うと家が揺れました。
「家も笑っているね」
たいそう幸せな数年間を暮らせた家に、もう二度とは戻らない家の部屋の一つ一つに、そして最後に神棚に深々とお辞儀をして新たな旅立ちをしたのがつい昨日のことのようです。
今もあの家の壁に合格通知が貼られているままでしょう。
彼といた日々が夢だったのかなと思ってしまいそうなほど、私にもまた長い時間が流れたのだと実感としてあり、でもこの世にいないという事実を誰にも何にも責められず問われずにいる現状に、そのことの方が夢だったのだよと自分の中の何かが言っているようでもあり。
だけどどっちにしろ、彼はどこにもいなくて。
そのことがよく分かっているからか、分かりたくないからか、今も涙が溢れて流れて止まらないことだけが答えなのだなと知っています。
少しずつ、また彼のことを書いていけたらなと。
そのことに意味を持たせる訳でもないつもりです。
ただ、もし一つだけ。
一つだけ意味を持たせてもいいと許されるならば。
あなた、kちゃん。あなたを見送ってから探し続けていた愛と命と人生の答えを私自身が出してもいいならば。
kちゃん、私の最期の向こうで、あなたに会いたいです。