死別から三年後。
そういえば一度、彼のことでブログを書いていたのを今ふと思い出しました。
あれは彼が亡くなって僅か数か月ののちのことです。
住む家もなくなり、実家に頭を下げて戻ってきても、彼の靴と服を抱きしめながら目に映る世の中のもの全てが灰色の世界にしか見えない頃。
何を書いたっけ、あの時。
その割に彼の姿、彼と生きて来た記憶は昨日のことのように鮮やかに心に湧いてきて何かの時間だけが止まっているようなこの三年を日々過ごしてきました。
時間が日薬、という話はよく聞きます。
様々な行動や経験をして悲しみが緩和されていく事実はありますが、死別という経験は元の人生、元の自分には二度と戻れない。
薬が効くのは悲しみを納得させる為のサポートのようなもの。
彼が二度と帰って来ないように、自分の中の一部が永遠に帰っては来ないこと。
月日がどんなに過ぎようともそれを肯定して生きなきゃならない。
それを葛藤しながら日々選び続けてもいいんだということが生かされるという意味、死別を生きる意味です。
亡くなった彼のこと、今出逢った彼のこと、書くのはそれこそ葛藤です。
書かなければならない意味を自分で分かっているから書く。
答えを知る為にです。
ぼちぼち今日も生きていきます。